【完】6:食料自給率の低さから気づくべきこと|よく噛んでみた“食料自給率”

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自給率の低さを嘆くのは、平和で余裕があるから?

このコラムは「食料自給率が低い」ことがどう問題なのかを考えるために書き始めました。
分かったことは、国は基準をより複雑にして現実を見えにくくしていること、戦後の経済成長気分を引きずったまま未だに無策なこと、そしてひどく危機感が薄いこともわかりました。
それなりに平和な日常が送れ、仕事があり、サービス業は忙しく、世界は狭くなり、富裕層はそれなりに増え、最低賃金はあがるらしい。みんなが気ぜわしく時間に追われるなか、戦争も紛争もないけれども定期的に自然災害がやってくる今の日本で、自給率の低さをわざわざ問題にするのは、かえって平和ボケで非現実なのではないか、そう感じて、結論まで書く勇気がわかないまま、気づけば2年近くも宙ぶらりんになっていました。

感染症という非常事態の上陸

問題が起きてから言う「感染症対策は国防」

2020年2月COVID-19によるウィルス感染症禍が到来。横浜港に停泊したクルーズ船に乗客は閉じ込められ、発症した人から下船できるという不思議な事態は、すぐに収容先が溢れました。今にして思えば無症状罹患者もかなりいたはずですが、問題が目に見えてから考え始める政府や有識者の対応は1年経ってもさほど変わっていません。この混乱の中で「感染症対策は国防であり、国をどう守るかなのだ」と識者が話すのを何度かみました。やはりそうか、です。

ワクチン接種において、オープンな情報と選択の自由はあったか

そしてワクチンは当然のように世界中で争奪戦となり、お金を用意できる国や、データを提供できるなど取引条件が差し出せる国はその列に並ぶことができる不公平さ。日本は東京オリンピックを開催すると未だに言うし、夏には世界中の選手たちが集まる予定だというのに、必要量のワクチンが入手できるかどうかさえ不明です(2021年4月時点)。この「ワクチン入手」を「食料入手」に置き換えて想像すれば、非常時に何が起きるかは容易に想像できます。

日本に暮らす人々のための食料は、日本での生産に回帰していくべき

自分で決められるのは「打つ」か「打たない」か

ワクチンが海外製だのみだった結果、どの製剤を選んで誰に与えるのかは「国」や「自治体」にハンドリングされますが、その判断の責任者が誰なのか未だに曖昧です。自分で決められるのは「打つ」か「打たない」か。だから食糧危機が訪れても「食べるか」「食べないか」の二択を迫られることがありうるわけです。だいぶん前の話ですが冷凍餃子の具に段ボール片が入っている国もありました。私はそんなものは食べたくないし、外国で作られた食品の性質は、日本で暮らす人たちの体に優しい保証はどこにもない。もちろん、いちいち現地に行って見ることは不可能なこともわかっています。

詭弁・ごまかし・金儲けが優先される日本の政治

検査や確認のしようがないうえに書類はいくらでもごまかせることが最近の政治で分かったし、余ったものや要らないものから売ろうとする人は世界中にいて、道義的責任を感じてくれない人も世界にはたくさんいます。日本企業がお題目のように唱える「安全・安心」が、特に食品においては、いつの間にか単なる建前でしかなく、ポリシー自体がガラパゴス化していかないことを望みます。

国民が、この国でどう生きるかをそれぞれ考えることも国防

人々が健康に暮らすことは、食糧や種苗の確保と同じぐらい重要

人々が健康に暮らすことは、食糧や種苗の確保と同義で、日本の将来にとって非常に重要で大切なことです。生乳は殺菌や温度管理が必要なため、海に囲まれた日本は牛乳を輸入する事態にはならないかもしれませんが、粉乳にすれば運べます。災害時などに必要な子ども用の液体ミルクを輸入ですませようという政治家もいました。牛乳が多く売れても、酪農家の地位が安定しても、私は一円の利益も得ませんが、それでもこのように書くのは、牛乳は人間が健康を維持するうえで必要な栄養食品の一つだからです。

また高齢者や健康不安がある人にとっては肉食よりも摂取しやすい存在でもあります。酪農は、過剰な電力エネルギーがなくとも生産体制がとれ、緑地などの自然環境を残す必要もあり、出産や搾乳といった生き物の生命を見つめることがプロセスに組み込まれた産業です。ヒトは地球で他の生き物と共存していかねばならないことを忘れないためにも、大切な存在だと思います。

世界を見渡しながら生活する

もう一つ忘れてはいけないのは、日本だけがよければいい、ということではないということです。今日食べる野菜や肉、魚がどこからやってきたのか、気にする習慣をみんながつけましょう。例えば輸入野菜で、調理中に独特の臭気を持つものがありますが、なぜ臭うのかを考えるのは大切なことです。考えることは面倒だし、答えが出ないと難しいかもしれませんが、身近なところから世界はつながっていると思えれば自分の中に新たな判断基準が生まれ、生きる指標の一つが身に付くのではないでしょうか

消費する側にも、メッセージは込められる

そして、新疆ウイグル自治区の弾圧に反対するために買うトマト缶を選ぶとか、台湾のパイナップルを応援で買う、ミャンマーのナッツやコーヒーは買わない、(これはちょっと話が遠いかな)といった「圧政に都合のいい思想側に与(くみ)しない」ことも、私たちができることの重要な一つだと思います。