生乳流通見直し「酪農家が出荷先を自由選択」閣議決定
この決定が何を意味するのか、いろいろ複雑
酪農家が搾った生乳は、農協のタンクローリー車で集乳され工場へと運ばれて行きます。集乳先は酪農家を戸別に効率よく回り、温度管理を徹底し、その作業を日々こつこつと繰り返しますが、そこに費用やサービスの競合は存在しません。
また酪農家が自分で育てた牛たちから搾った生乳を自家牛乳として販売したくとも、タンクローリー内で混じりあった集乳先から所定量を買い戻すことしかできない仕組みになっています。そこに新しい酪農家が出荷先を自由に選んでいいよという決定がなされましたが、実際のところ選択肢はほぼ無い状態なのです。
安全な生乳を日々安定的に供給されることが大前提とはいえ
生乳の流通については視点や立場によりさまざまな議論がありますが、ことの本質には時代の変化と国による「制度疲労」によるものが大きいと感じています。生産者(酪農家)が、食品として安全な生乳を日々生産し、それが安定的に供給され、継続されること、これが最も理想であることは、誰の目にも疑いはありません。
努力が評価されリターンもある職業へ変えられるか
その一方で酪農家はその大半が個人経営の規模でありながら、乳質をあげるために人生を賭すような大きな借財をし、さまざまな設備投資を行い、牛の健康を守りながら毎朝晩の搾乳を自らの家族等とともに何十年という長期にわたり行ってきています。そして償却を終えるころには、同時に職業人としての終了も迎える例がたくさんあります。どんな仕事でも子や孫にいくばくかの資産を残したいと思うのがつねですが、大きな借金を抱え家族との時間を犠牲にして、それで生活するのがやっと、という「職業」であることが当たり前ではいけないのです。それら努力と投資に報いる環境が、頑張りしだいでは作れる可能性があるということが重要だと思います。
形だけの「自由化」では、誰のためにもならない
努力と工夫で多少なりとも蓄財できる環境づくりができれば、それは職業選択のひとつとなりえるし、新しい人材の育成もありうる。そのような可能性にむけた「自由化」であれば歓迎すべきことだと考えます。しかし、市場流通には複雑な要素が関連し合い、いいものだけがよく売れるとは限りません。短期・中期・長期的に、どのような価値判断が望ましいかについてを、日々の搾乳に働く酪農の現場に判断させる「自由化」が、単なる負担増にならないことを願うばかりです。
品質を上げることに集中できる環境づくりを
消費者も一時の価格上下に左右されない目を持ち、購買行動に必要な情報がきちんと手に入ることを求めていくことが重要です。生産現場がよりよい品質を目指すことに専心できる環境づくりができるよう、もっとオープンな仕組みにして、知恵を寄せ合える、複数の目で検証できる、それが望ましいのではないでしょうか。食品製造の要であり、消費者をはじめ国全体の一番の利益につながることを念頭に、今後も事態の推移を見守っていきたいと考えています。