~牛さんは記憶力がよい。1年前のことも憶えているらしい~
「牛は利口だよ。そして記憶力もいい」牧場でよく聞く言葉です。
これはある牧場の話。
ある日、農協職員がパドックに顔を見せたところ、一頭の牛が急に怯えて奥の方へと逃げてしまったといいます。たしかに臆病な性格の牛ではあるけれど、なぜこれほど動揺するのかが分かりません。当の農協職員も「どうした?何も痛いことをしないぞ」と困惑の様子。「俺の顔が恐いのかなあ」とぼやいていると、牧場主の奥さんが1年以上前の出来事を思い出しました。
それは地面がぬかるむ春先のこと。その農協職員が珍しくパドックにやって来た際、泥に足を取られて転んでしまったのだそうです。きっとその時、急に転倒した動作や、「うわっ」という叫び声などに驚いたのでしょう。そして今日、同じ人が顔を見せたものだから、思い出して恐がっているのではないか。そう皆で話して納得したそうです。
それから1年に1度の頻度で同じ農協職員が訪れるそうですが、やはりその牛は恐がるそぶりを見せるそうです。思いがけない恐怖体験はもとより、1年に1度しか来ない人の顔も忘れない、牛の記憶力に感心するエピソードです。
もう一つ、牛の記憶力にまつわるお話をご紹介しましょう。牛から受けた、ちょっと笑える復讐劇です。
それは牧場主が、敷地内の草地に育成牛(人間でいえば女子中学生くらい)を放牧していた時のこと…。
「一頭の牛が、こっちをじっと睨んでいるんだよ。なんだ?と思った瞬間、まるで示し合わせたようにほかの牛たちがサーッと離れたんだ。気付いたら十数メートルを挟んで、俺と睨む牛が一対一の状態さ。
<あ、襲われる>
と思ったのと牛が突進してきたのは、ほぼ同時だったね。もちろん逃げたよ!でも牛は走ったら速いんだ、放牧地で逃げられるわけがない。走って逃げる後ろから、尻をドンっと突き上げられたのよ。体がポーンと宙に浮いてドサッと落ちたわ。幸い無傷だったよ。その一撃で気が済んだのか、牛はもう襲って来なかった。ドヤ顔で見ていたよ」
牧場主は、ほうほうの体で家に逃げ込みながら「なぜだ?」と考えあぐね、そしてハッと思い出しました。それはもう1年以上も前、あの牛が生まれてすぐ、ほ乳瓶でミルクを与えていた時のことです。飲み方が下手な仔牛で時間がかかるものだから、つい苛立ってしまい、頭を軽く小突いてしまったのだそうです。
「あれか!?あの時の怨みか」
そう気付いたものの、それから数日はお互いに気まずい空気。牧場主が復讐牛に近寄り、「あの時は悪かった」と謝ってから、ぎこちない関係は次第に修復されていったとか。
生後間もない頃の記憶が残っていることにも驚きますが、成長するまで待って意趣返しをする信念や計画性、それを援護する仲間意識にも感心するエピソードでした。