地震被災や生産調整と闘ってきたメガファーム代表。今、思うのは日本の「食」と未来。

北海道十勝に「闘う酪農家」がいる、と。たびたび聞くうちに興味を惹かれ、その人物、「農事組合法人 Jリード」の井下英透(いのしたひでゆき)代表(60歳)を訪ねました。
 
事務所のデスクから顔を上げて迎えてくれた井下代表の表情は穏やか。「闘う…」の呼び名から湧く強硬な印象はありません。
現在、豊頃町の太平洋沿岸部に430ヘクタールの敷地を構え、近代的な牛舎や育成舎で経産牛800頭を含む1,300頭を飼養。年間8,000トンの生乳を生産する北海道屈指のメガファームとなるまでには、どのような道のりがあったのか。なぜ「闘う酪農家」と呼ばれるようになったのか。これまでの来し方に耳を傾けました。
 
酪農家井下さんの酪農人生はいつから始まったのですか。
 

1981(昭和56)年に酪農学園大学を卒業したあと、経産牛10頭ほどを飼う実家の兼業農家を引き継ぎました。ここが原点です。それから専業酪農家として自立するため、なんとか資金を借り入れして牛舎を新築。飼養頭数を40頭に増やして経営を始めました。

 

農事組合法人Jリードの井下代表。理路整然とした語り口が印象的です
 
 
井下さんは、日本に「スーパーカウ」を生み広げた先駆者だったとも聞いています。スーパーカウとは、1頭あたりの年間乳量が2万キログラム以上と、一般乳牛の倍以上にものぼる「高泌乳牛」。誕生させるのはたやすくないそうですが、実際にどのような努力をされたのでしょう。
 

私がスーパーカウの研究と産出に没頭し始めたのは95年、37歳のころでしたか。大学の恩師から学んだ「高産乳による酪農経営の活性化」を実践してみようと始めました。
スーパーカウの産出には、どの遺伝子とどの遺伝子を掛け合わせるかという研究から、牛が生まれてからの飼料給餌の工夫など、あらゆるデータを検証しながら取り組みました。それと、とにかく牛の様子をこまめに観察すること。これらを大事にしていました。

 
 
1頭あたりの生乳生産量が上がれば、おのずと経営も向上しますね。折しも日本の酪農家戸数も飼養頭数も下降していた年代です。スーパーカウの出現は日本の酪農界にさした新しい光となったのでは。
 

そうですね。実際、私の牧場は2001年から03年まで3年連続、群平均乳産で日本一になるなど注目もされました。またこの当時私は、スーパーカウを日本全体の四分の一にのぼる30頭近くを産出していましたから、日本中から視察者を迎えたり、講演に出かけていろんな話をしたりと精力的に活動をしていました。絶頂期でしたね。そんな時でした、大きなしっぺ返しを受けたのは。2003年(平成15)年9月26日の早朝にマグニチュード8、震度6の十勝沖地震が発生し、牛舎が倒壊したのです。もうどこから手をつけて良いか分かりませんでした。呆然の日々がしばらく続きました。

 
 
それが最初の試練。最初に闘った相手は地震災害だったのですね。
 

そうです。これ以上の借り入れをして牛舎を復興させるなど、もはや難しい状況で…。離農の考えもよぎりました。しかし日本の酪農家戸数は後継者不足などにより、年々減少の一途をたどり不安視されていたさなかです。このまま日本の酪農を衰退させてはならないと、再起の道を探りました。

 

Jリードの牛舎は明るく通気性のよい木造。牛も人もほっとします
 
 
諦めず見出した再生。それが2004(平成16)年、同じ町の酪農家4軒で設立した「農事組合法人 Jリード」ですね。
 

法人名にこめたのは、「日本の生乳生産を守り、リードしていこう」という思いです。私が代表になったのは、4人のうちで1番の年長者だったから。資金は3億円の補助金と7 億円の借り入れを合わせた10億円。それで牛舎や設備を新設し、乳牛200頭を入れて、翌2005年4月から営農を始めました。
4人の夢をのせた経営は出だしからなんとか好調で、飼養頭数も200頭から400頭、さらに500頭と増やしていきました。
ところが、スタートからたった半年後、またもや思いがけない苦難に巻き込まれました。生乳の生産調整が始まったのです。Jリードも厳しい生産抑制を割り当てらました。

※編集注:生産調整とは、農作物の需要が供給量を下回り続けた時などに、生産を抑制させる政策。

 
 
ようは「余るから生産するな」という国からのお達しですね。生産調整は特定の地域、特定の牧場に強いられ、しかもその割り当ては大小ばらつきがあるため、不公平感もあると聞いています。その時、Jリードでは何が起きていたのでしょうか。
 

生産調整で、出荷できる生乳の量が一方的に制限されました。出荷できなければ収入が激減します。しかしお母さん牛の搾乳は毎日しなければなりません。出荷はできなくても、命を飼養しているのですから毎日人件費や飼料代はかかるわけです。
あの頃は毎日5~6トンの生乳を廃棄していました。これは金額にすると40万円以上で、月にしたら1,200万円分です。半年ほど生乳を廃棄し続け、取り急ぎ100頭の牛を処分せざるを得ませんでした。
生産調整は1年くらい続き、その間、毎月1,200万円ずつ現金収入が減るわけですから経営はとたんに悪化します。とにかく先に進まなければならないので、借り入れ返済を待ってもらえるよう農協にお願いしに行くなど、奔走しました。

 
 
次の闘いの相手は生産調整。それから井下代表はどのような行動を起こしたのですか。
 

私は酪農学園大学の先輩のアドバイスを受け、テレビや新聞を通して生産調整で苦しむ酪農家の現状を訴えました。ある日突然、需要と供給のバランスが崩れたといって、そのたびにいつも一方的に酪農家が犠牲を払っている。その慣習と構造が問題だと。
そしてその発言によって理解や賛同も得られましたが、一方で同じ酪農家から厳しい意見も届きました。井下が大規模経営に乗り出したから生乳が余ってしまったのだろう、って。これはつらかったです。

 
 
それでも前へ進むことができたのはなぜですか。
 

生産調整との闘いで経営的にも精神的にも疲弊していた時、ある酪農雑誌をめくっていたら、偶然、私のことを書いた投稿記事を見つけました。筆者は同じ十勝で牧場に従事する人。当時まだ面識のない方でしたが、「弱い立場の酪農家をなんとかしなくてはと、積極的に活動している井下さんの闘う姿勢は素晴らしいと思う」と書いてくれていて…。とても勇気づけられました。私の考えを認めてくれる人がいる。そうだ自分は間違っていないと思い、もう一度立ち上がる決心をしました。あの投稿の切り抜きは、今でもお守りがわりです。(笑)

 
 
井下代表の異名、「闘う酪農家」は、この時に誕生したようです。
 

営農開始時に導入したロータリーパーラー。1度に40頭の牛を回転させながら搾乳し、約10分で1周します
 
生産調整から解放されたのち、少しずつ飼養頭数を増やし、生乳生産量を増加させてきたJリード。井下代表は経営の傍ら「アジア酪農交流会」にも参加し、現在副会長を務めていますね。
 

日本の酪農は明治期から発展してきましたが、それは私たちの先輩がアメリカやカナダ、ヨーロッパへと渡り、技術を学び導入してくれたおかげです。あの夜明け時代に海外交流があったから、日本の酪農は産業として成り立ちました。そのことに感謝をして、今度は私たちがアジア諸国から訪れる留学生や教師の方々に技術を伝えるなど、交流活動をしています。そうした思いもあって、Jリードでは継続的にアジアの従業員を雇用しています。

 
 
これからJリードと井下代表は、どのような酪農をめざしていきますか。
 

現在Jリードがめざしているのは生乳生産量の拡大です。なぜかというと、私には日本の「食」を支えたいという強い思いがあるからです。
平成29年度の日本の食料自給率は、カロリーベースで38%と発表されました。世界へ目を向けると、人口増加や環境の変化などによる、将来の食料不足問題が叫ばれています。こうした情勢のなか、日本はもっと真剣に、自国の食料確保に取り組んでいかなければならない。それができてこそ真の独立国といえるはずです。
そして食料不足の対策において、酪農は重要な鍵となります。だから私は、今後も生乳生産量の拡大に特化して舵を取っていくつもりです。

 
 
では国が推奨している、6次産業化や海外への輸出に参入する考えは。
 

今のところはありません。もちろん6次産業化や海外に販路を求めることも一つのありようで、所得向上や雇用増加などの可能性を秘めています。興味を持つ方がチャレンジされるのは素晴らしいことだと思います。しかし6次産業化や海外販売は、日本の食を支えることには繋がらないので、Jリードは視野に入れていません。

 
 
あくまでも日本の食を守ることが理想ということですね。しかし今はまだ、国産食材の貴重性や未来の食料不足を気にする消費者は少ないようですが。
 

そのことに気付いてもらうためにも、「食料の価値」と「酪農の価値」が今いちど見直され、しっかりと評価されるようになってもらいたいです。牛乳や乳製品は大切な栄養で、命のもとです。私たち生産者もそのことを訴えていくなど、もっとさまざまな努力をする必要があります。

 
 
日本の酪農家戸数は年々減り続けています。農林水産省の畜産統計によると、2018(平成30)年2月1日現在、全国の乳用牛飼養戸数は15,700戸で前年より4.3%の減少。それでも生乳生産量はなんとか維持されてきたその陰には、Jリードのようなメガファームの存在があったことも確かです。
 
「近年は災難にも見舞われず平和です。闘うこともないよ」と笑った井下代表。これから挑むのは、食と酪農の価値を認めてもらうための一途な闘いでしょうか。
 
 

お話を伺いました
【北海道中川郡豊頃町】農事組合法人Jリード 飼養頭数/1,300頭

農事組合法人Jリードは役員4名。現在従業員は23名で、うち9名がベトナム人スタッフ。
Jリードは、映画化もされた十勝の農業高校が舞台の人気コミックに登場するメガファームのモデルにもなっています。

 

※撮影や取材は牧場の許可を得て行っています。
感染や事故予防のため、無許可で牧場敷地内へ立ち入ることはご遠慮ください。

 

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