みんながイメージできるブリキ製の牛乳缶はこの時から
NHK連続テレビ小説「なつぞら」100作目でしばた牧場が舞台となる時、たびたび映されるのが牛舎の中の水槽。戸村親子が水槽の中に牛乳缶を入れながら話すおなじみのシーンを見て、「あの牛乳缶にはどれくらいの牛乳が入っているの?」と思った人は多いでしょう。あの時代の牛乳缶はブリキ製で、1斗(18リットル)入りと1斗5升(27リットル)入り、そして2斗(36リットル入り)の3種があったそうです。
あの牛乳缶は1斗(18リットル)入り
しばた牧場の水槽には、だいたいいつも5本ほどの牛乳缶が浸かっていますね。飼養している乳牛はざっと10頭くらいですから、1日に搾られる生乳はぜんぶでおよそ100キログラム。そこから計算すると、あの牛乳缶は1斗入りと考えられます。
庭先の小川で冷やされる牛乳缶
しばた牧場は地域を代表する大牧場ですから、牛舎の中にコンクリート製の水槽を設けています。水はおそらく地下水。夏でもひんやりとした水で、牛乳を冷やすことができます。そして水槽を持たない小さな牧場は、庭先の小川に牛乳缶を浸けて冷やしていたとか。
馬車で集乳所へ行くのは大きな牧場
振り返れば「なつぞら」の昭和20年代。泰樹おじいさんが馬車になつと牛乳缶をのせてどこかへ行くシーンも時々放送されていました。泰樹おじいさんの行き先は、たぶん「集乳所」。あの時代、全国の酪農集落に集乳所が設けられ、そこに乳牛を飼う人々が牛乳缶を持って集まってきていました。
1本20Kgの缶を背負って納品
泰樹おじいさんのように馬車や馬そりで何本も運んで来る人は少数派で、1本を自転車に積んでやって来たり、背負って歩いて来たりする人が大半だったようです。1本20キログラム近くもある牛乳缶を背負って何キロメートルも運ぶなど大変な重労働ですが、「これでお米が買える」「子どもたちの洋服が買える」と、だれもが引き取り価格を励みに集乳所を目指していたそうです。
酪農家の運搬負担を軽減する改革
集乳所はちょっとした小屋のような建物で、昭和30年代まで日本各地に佇んでいました。それとほぼ同時代に、乳業メーカーが牧場の庭先まで行って牛乳缶を受け取る仕組みができたり、昭和40年代には幹線道路を走るトラック集荷が始まったり。酪農家の運搬負担を軽減する改革が進みました。
そして昭和40年代半ばからは、いよいよミルクローリー車が登場し始めます。これは牧場の搾乳室近くに設置された冷蔵貯蔵タンク(バルククーラー)から、ミルクローリーのポンプ式ホースで生乳を吸収するシステムです。この形式が集乳の最終形。今もミルクローリーとバルククーラーのタッグが活躍しています。今は昭和41年の設定ですから、しばた牧場にもあと数年で集乳改革が到来?